自分に合った楽な暮らしや生き方は貧しい村に学びました。


こんにちは。

シニア目前、おひとりさま予備軍のゆめ花です。

 

楽な生き方や暮らし方を
意識し始めてかれこれ5年になります。

それまで、人の目や周りと自分を比べてばかりいた私が
何がキッカケでどのように気持ちが変化していったかを
お話しします。

 

●腹が立って受け入れられなかった現状

 

中国の中でも貧しい地域に住む事が決まった時
行くのをためらっていた私に、現地からメールが届きました。

①外国人が住む地域に外国人用の高級マンションを探すか
②現地の人達が住む地域にキレイなマンションを探すか決めて下さいと。

①は買い物も遠いし学校も遠く生活に不便。
②は大型スーパーも学校も近くで生活に便利。

 

私は悩みましたが、言葉も通じないところで
息子もいるのに不便な地域では暮らしにくいと考え
②の生活に便利なキレイなマンションを選択しました。

 

現地のメールの相手が、キレイなマンションを探すので
すべて安心してください。と言ってくれたのでその言葉を信じて。

2011年7月。
不安と期待の中、中国に着きマンションまで送ってもらいました。

汚いただただ汚い路地を汚い車に乗って着いたそのマンションは
外見も中も日本人の私にはお化け屋敷にしか見えない
目を背けたくなるようなマンションでしかなく
呆然と立ちすくむ私に、メールの女性は

外国人にも喜んで貰えるキレイなマンションを
やっとみつけたんです。

気に入ってくれましたか?と満足そうに聞きました。

 

ショックで今にも泣きそうな私の顔を見て
嬉しくてないているのかと思ったようで
こんなに素敵なマンションに住めるなんていいですねと言いました。

違う!違うよ。これのどこがきれいなの?頭大丈夫?
誰がこんな汚いマンション探してと言った?
ありったけの文句を言いたかったのに言葉がでてこなくて

西日が当たり、ますますお化け屋敷にみえるマンションの前で
涙だけがポロンとこぼれました。

 

●何にも無い!!

 

しばらくすると、近所の現地の人達と顔見知りになりました。
どこの家も電化製品は何もなく、私から見れば
不便そのものにしかない暮らしの中でもみんな幸せそうで、
それがいつしか羨ましく思えてくる私がいました。

そしていつしか、物が溢れていた日本の暮らしを
あれは何だったんだろう?と疑問に思う自分がいたのでした。

少しずつ心に変化が現れてきました。
人の目を気にせず自然体で暮らせる不便な生活を
息子も私も楽しむようになりました。
当時12歳だった息子は特にこの何もない生活を楽しんでいましたね。

 

●何も欲しくない。

 

たった1年で日本に帰る事になった時
息子が日本に帰るのを嫌がりました。

そうです。私も息子も
物が少ない不便な中で工夫して楽しむ暮らしを心から楽しんでいたので。

そして久しぶりの日本。
日本の我が家はいらないものだらけでした。
なんでこんなに同じようなものがたくさんあるんだろう?
なんでこんなにたくさんの物を買っていたんだろう?

●それでいいんです。

しかし、あの時はたくさん物がないと不安だったし
物を買うことで安心していたからそれでいいんです。

でも今は、物がなくても楽に自然に自分らしく暮らせる
自分のさじ加減を知ったから何も欲しくない生活がいいんです。
これでいいんです。自然でいいんです。
ひとそれぞれさじ加減は違いますよね。
おひとりさまを楽に暮らす為にも
自分に合うさじ加減を見つけたいですね。
今日は、貧しい人々との暮らしの中で気づいた私のさじ加減の話でした。

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